古代都市チチェン-イッツァ
メキシコ合衆国
登録年:1988年
撮影者:S.Kinoshita
撮影年月:2003年3月
メキシコのユカタン半島の北部に古代都市チチェン・イツァがあります。
チチェン・イツァとは"泉のほとりの水の魔術師"という意味です。
西暦450年頃マヤ族のイツァ部族が集落を形成したのが始まりで、その後、10世紀後半トルテカ人がこの地に入ってきました。
トルテカの王"ケツッアルコアトル"がこの集落を大きく変えました。
"ケツッアルコアトル(羽毛の生えたヘビ)"王は偉大な王でした。
装飾過多なマヤ文明と大規模建築のトルテカ文明、この2つの文明の出会いが古代都市チチェン・イツァを造り上げたと言えます。
この独特の建築様式を現在では"トルテカ・マヤ様式"と呼んでいます。
高さ24mのピラミッド"エル・カスティーリョ"は頂に神殿を持っています。
また、現代の天文観測所にそっくりで実際天文観測所として機能していた"カラコル"もあります。
少し離れたところには雨の神チャックが住む"セノーテ"という泉があり、頻繁にいけにえが投じられました。
奇跡的に溺れなかったいけにえは神の託宣を伝える者としてあがめられたと言われています。
いけにえの儀式はこの文明の重要な儀式として随所で行われていました。
一方、この文明は高度な天文学的知識を活かして、巨大なピラミッドに"しかけ"を造りました。
春分と秋分の日の夕刻、ピラミッドの4辺の斜面の1箇所に、太陽の陰でできた竜が舞い降ります。
マヤ文明とトルテカ文明が融合した知の建造物群。
しかし、13世紀後半、突然、この地は放棄されました。その詳しい理由はなぞのままです・・・・。
・遺産の概要説明
・ウィキペディア チチェンイッツァ
・ウィキペディア マヤ文明
・ウィキペディア トルテカ文明
・春分の日のチチェンイッツァ
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