Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu ]U
<リンク集>
 ・遺産の概要説明
 ・首里城衛星写真
 ・ウィキペディア
   琉球王国のグスク及び関連遺産群

 ・ウィキペディア 識名園
 ・ウィキペディア 園比屋武御嶽
 ・ウィキペディア 首里城
 ・ウィキペディア 玉陵
 ・ウィキペディア 今帰仁城
 ・首里城公式HP
 ・日本の世界遺産.com
   (琉球王国のグスク及び関連遺産群)

 ・沖縄観光情報WEBサイト

<地図表示>
  首里城付近
琉球王国のグスク及び関連遺産群 日本国: 登録年 2000年

撮影者:S.Kinoshita 撮影年月:2013年9月
  沖縄で農耕が本格的に始まった12世紀前後の時代をグスク時代と呼びます。各地に首長である按司(あじ)が生まれ覇権を争い城砦を築きました。14世紀に入ると今帰仁(なきじん)城を拠点とする北山、浦添城を拠点とする中山、島尻大里城を拠点とする南山の3勢力が台頭し三山時代を迎えました。その後15世紀に入り琉球王朝が成立し統一が図られ、首里城を中心に華やかな王朝文化が花開きました。 ここでは次の場所を掲載しています。
@識名園(しきなえん)は那覇市識名にある琉球庭園の一つで、中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築されています。
A園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は首里城内にあり、石門の背後にある森が園比屋武御嶽で国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所でいわば国家の聖地でした。
B首里城は琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)でした。当時の遺構は城壁や建物の基礎部分だけで、復元されたものは世界遺産とはなっていません。
C玉陵(たまうどぅん)も首里城に隣接してあり、第3代尚真王(在位1477年〜1526年)が父、尚円王を葬るために建築したもので、沖縄県最大の破風墓です。大きく3室に区分され中央の室に遺体を安置し14年後に遺骨を取り出し、王家は左側の室へ、親族は右側の室へ葬られました。
D今帰仁(なきじん)城址は北部の本部半島にあります。14世紀頃、ここを拠点とする北山、浦添城を拠点とする中山、島尻大里城を拠点とする南山の3大勢力が覇権を争い、15世紀に入り琉球王朝が成立し統一が図られました。