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<リンク集>
・遺産の概要説明 ・ウィキペディア パルミラ ・パルミラノ地理歴史 ・シリア観光案内 ・シリア観光省 ・在日シリア・アラブ大使館 <地図表示> タドムル(パルミラ)付近 |
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撮影年月:2000年3月
パルミラの遺跡は、シリアの首都ダマスカスの北東、約215kmのシリア砂漠の中、ユーフラテス川流域からは南西へ約120kmのところにあります。北から流れるワジアブオベイド川と、西から流れるワジアイド川が形成した扇状地にあるオアシスに建設されました。パルミラのある東西方向の谷間は、地中海沿岸のシリアやフェニキアと、東のメソポタミアやペルシャを結ぶ交易路となっており、パルミラはシリア砂漠を横断するキャラバンにとって非常に重要な中継点でした。紀元前3世紀頃から多数の地下墓地が建設され、当時からアラム語で現在のアラビア語名と同じ「タドモル」と呼ばれていました。ナツメヤシの産地として知られたオアシス都市でした。紀元前1世紀から3世紀までは、シルクロードの中継都市として発展し、交易の関税により都市国家として繁栄。ローマの属州となったこともあります。2世紀にペトラがローマに吸収されると、通商権を引き継ぎ絶頂期に至りました。この時期、パルミラにはローマ建築が立ち並び、アラブ人の市民は、東のペルシャ式と西のギリシャ・ローマ式の習慣や服装を同時に受容していました。「軍人皇帝時代」にパルミラ王国が成立し、270年頃君臨したゼノビアの時代にはエジプトの一部も支配下に置いていました。しかし、ローマ皇帝アウレリアヌスは、当時分裂状態にあった帝国の再統一を目指してパルミラ攻撃を開始。273年にパルミラは陥落し廃墟と化しました。この後パルミラは衰え、東ローマ帝国やイスラム帝国の支配下にあった時代は街の大半が廃墟のままとなりました。
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